2014年9月20日土曜日

「アイドル」という言葉の意味の混乱とプリパラについて少し

 「アイドル」という言葉の意味の混乱が悩ましい。本当に。香月さんが整理した議論を自分が蒸し返すこともないと思うが、どうにもすっきりしない。
 いま悩ましいと思うのは、①漠然と「芸能活動をする容姿端麗な若い男性あるいは女性」を指す「アイドル」と、②特定の表現様式やビジネスモデル、ファン文化などを指す「アイドル」が混ざってしまうこと。②の意味を意識しないで「アイドル」という言葉を使うと、受け取る人によっては混乱してしまう。とりわけ現在の日本の女性グループについては、「アイドル」の意味の範囲は(①しか意識していない人が想像するより恐らくかなり)狭い。だからこそ「~らしからぬ」とか「~の枠を超えた」という形容に意味がある(ように思われる)。それ以上に、「アイドル」を自称しないことには実質的な意味がある。「アイドル」を名乗らなければ「アイドル」の作法に縛られる必要がない。市場規模が固定化つつある中で「アイドル」内の多様性が主張されているのが今だとすれば、「アイドル」を名乗らないことの有効性はもっと尊重されていい。

 ところで、『プリパラ』での「アイドル」は何を指しているのか? もう少し細かく見ると、①と②の間に、表現様式だけを指す意味のレイヤーが挟まっている。「み~んなアイドル!」というキャッチフレーズは、プリパラ空間では単なるファンは存在せず、みなステージに立ちうる存在だということを端的に表している。アイドルとしての活動が施設としてのプリパラの中だけで(プリパラTVというメディア露出はあるにせよ)行われるという仕掛けによって、歌や衣装といった表現レベルのレイヤーを指す言葉として「アイドル」を取り回すことが可能になっている。
 したがって、そのステージ上の表現がどれほど「現実」のアイドルと似通っていたとしても、「ビジネスモデル、ファン文化」をも「現実」に合わせる必要はない。このことによってプリチケというシステムを作中の現実として動かすことができるし、「現実」ではもはや化石となった親衛隊も存在できる。

 さて、プリパラドリームガールズオーディションの「アイドル部門」に合格して「アイドル」となった参加者が見ることになる「現実」はどんなものだろうか? これを考えるのも混乱しそうだ。