2012年11月4日日曜日

2012年11月3日(土)

 読売ジャイアンツさん日本一おめでとうございます。現行制度でのCSにはまったく賛成できないので、セパ両リーグの「優勝」チームが(カッコ書きとか悲しいね)日本シリーズで相まみえた結果について、何の疑問も挟む余地はありません。ナカタショーも打ったし。
 それにしても愛し合いながら憎むというか、愛することの中にはすでに憎悪への萌芽があるのだあと感じることしきりでした。この24時間くらい。自分がそういう愛し方をしてしまうというだけかもしれないけど、とかく日本野球文化については、それを強く思うわけです。いわく、野球というスポーツの形式は好きだが、日本野球文化は好きではない、日本野球文化は好きだが高校野球は好きではない、NPBは好きだがNPB所属選手の打撃は好きではない、というように。
 ある意味では、巨人軍および原監督という存在は、日本野球文化の基底をなすナルシシズムを体現する存在に思えてきました。(そこに親会社ならびに親会社が属する業界を加えてもいいかもしれないが)あれだけの規模と社会的影響力があるにもかかわらず(皮肉じゃないですよ。そう思ってますよいまだに)、普遍と公正への志向が薄いんじゃーの、と思うワケです。そりゃ世界を見渡せば私利私欲にまみれた人間や団体はいくらでもあります。でも、そういう人たちは普遍や公正を愛するという態度を、とりあえずは装うと思うんですけど、日本プロ野球のそれは、非常に薄い。野茂がどうして海を渡ったか、田沢が大谷がなぜ海を渡ろうとした/しているかについて、真剣に考えていないとしか思えない。これが非常にみっともない態度であるというのは、恋愛に準えれば理解しやすい。
 彼らの態度は日本野球文化の不公正さへの異議申し立てであった(大谷選手にしてもその本質は変わらないと思う)のに、それを逆指名とか日本球界復帰禁止期間とか、不公正を上塗りする形でしか態度表明ができないというのは、この文化にかかわる人たちが公正さについて考える習慣がないということのはっきりとした現れですね。
 でもそれは業界人に限った話ではなく、自分にしてもそうです。日本の教育機関は、少なくとも初等教育は、規律訓練はしても公正という価値観を内面化するトレーニングをしてくれるところじゃない。公正とは論理ではなく情緒であると考えるのは、日本学校文化、ひいては日本社会の心性のひとつの際だった特徴ではないか。
 何でしたっけ。ああ野球だった。だからこそ、クライマックスシリーズという公正さへの挑戦としか思えないような不細工な制度が成立してるんだと思うつーわけです。公正さとはスポーツの本質のひとつであり、CSを続けるというのはスポーツへの愚かな挑発であるとすら思います。でも見ちゃうしこうしてぐだぐだ言うんだよね。好きだから。そして憎む。そして、いくらメチャクチャな制度であってもそれは制度であるからして、その制度に則っている限りは「合法」であるのに、3位からの「日本一」を「下克上」と呼んで恥じないのはなんなんでしょうね。制度にしたがった下克上とか、非論理にもほどがあっておもしろすぎる。
 あー、CSのプロ野球ニュースの再放送始まっちゃった。願わくば、制度というのは非論理の躍動を助長するようなものであってほしい。スポーツのルールってそういうことだと思います。来年は、僕を含めた日本の人たちが、もうすこし論理的になりますように。
 あしたは14日ぶりの休みなのでふだんと違う川を越えて遊びに行こうと思います。